なんか(観たやつに)「中二病でも恋がしたい!-Take On Me-」の解説がしたい

1ヶ月前に劇場版を観てきましたが、オススメじゃないので観なくていいと思います。観終わった僕は、普段アニメ観なそうな奴が絶賛するアニメって微妙なのはなんでだとうと考えていました。

絶賛する魅力が知りたくて、映画鑑賞前に2日間かけて1期2期を見ている時も同じことを考えていました。というか1期をリアルタイム放映時に観ていたので、つまらないと知っていました。

そして再び1期を観終わった感想も前回と同じでした。具体的には最終話あたりのシリアス展開のとこのキャラの感情がイミフなので毎回イライラをします。中二病の絆としての役割は分かってます。

映画を観る予定があったので、一応観た2期はなんかけっこう良かった。

どこがと言うと七宮の叶わぬ恋をする美少女というキャラが僕にクリーンヒットした。

詳しく言いますけど、恋に悶える女の子の超可愛いのが、彼氏を作るだなんてビッチだっていうオタク的なキモい感情によって薄らいでしまうところを、叶わない恋であることで、むしろ恋すれば恋するほど清楚で居続けることの安心感を生んで非の打ち所がない大変なことになってる。

加えて現実(恋愛)と中二病の関係に非常に納得した。ていうかそういえば2期は神ですね。この解説もしたくなってきた。中二病は自分を特別視する極度に主観的なものなのです。それに反して恋愛におち、相手を振り向かせたいとなった時、意中の相手の目を通して自分をみようとするわけですが、そこには等身大の自分がいるのです。その恋愛による避けられない客観視が、自身への偏った主観視を解消すると中二病ではいられないという話。

現実でも恋人がいる中学生は中二病ではなかったことを思うと説得力やばいです。

いや待って嘘?気づいたんだけど、あれ単純に七宮が裕太に比べたら世界なんかどうでもいいってなっただけ...?2期の質が高すぎて不自然だと思ってたからその方が腑に落ちる。この解釈して衝撃受けてたの俺だけ?

言いたいことを書き続ける。

ここからが序論なんですが、僕は1期2期一貫して十花さんが好きです。しかし視聴者の年齢層的に嫌いな方が多いかもしれない。なぜなら十花さんは現実・客観サイドで、リアルにお母さんみたいなんですよね。しかし僕はそんな十花さんのアニメなのに現実的な生々しい心配が好きです。真剣に立花を案じる姉の優しさに魅かれてました。

ここから本論です。この映画はイタリアへ六花を連れていくと言う十花さんから、裕太と立花で駆け落ちチックな逃避行をするやつでした。

映画を観終わった後は、あぁとうとう十花さんもストーリーのためにキチガイサイド(前科持ちの裕太みたいな感情がイミフなアニメキャラのサイド)に堕とされたかと悲しい気持ちでいっぱいになりました。十花さん愛が不十分な人は思わなかったでしょうが、僕は十花さんの指輪が「右手から」左手になっているなと瞬時に気づく愛があるので思いました。

具体的に挙げていきますが、まず無茶苦茶な理由で突然イタリアに来い学校は転校だとかいう十花さんを観たくなかったです。しかもそこまでしたくせに六花でもなく裕太の、それも「それでもおれは(改行)x10 中二病でも恋がしたい!」とかいうふざけたメールに納得するのも俺をイラつかせました。一度ファミレスで捕まえて逃す意味わからなさにイラつきました。

誤解しないで欲しいのは、僕が終始イライラしていたかと言うとそう言うわけではありません。キャラの感情が不自然で納得いかないアニメはよくありますから、慣れています。なので僕は残念には思いつつも、こういうのは気にしないでコメディを楽しまなければダメなんだと思うことができるのです。ただこの不自然さを抱えて迎えるエンディングの1期OPのは、無理矢理いい話風にして盛り上げようとすることへの嫌悪感が湧いてしまいした。

でまあ色々考えてるうちに十花さんの感情・動機が分かって嫌悪感は払拭されたから解説を残したかったんだけど書き疲れた・・・。いっぱい文字読んだからいっぱい書きたくなっていっぱい書いたので満足した。いつかつづく

 

 

 

 

 

 

 

イデア論に対する有効な反例

僕は以前

四次郎(能力:あらゆる次元を行き来でき、不可能がない。作者に尽くす) - わっかっか

を考えたが、これはまさにイデア論に対する反例では無いだろうか。

つまり、想像できるからといって存在しない。当然存在の証明にもならない。

理想的な三角形は確かに概念的に存在する。

そしてイデア的なものが存在するものがあれば、存在しないものもある。それだけの話である。その境となるのはただ定義が十分にあるか、ないか。当たり前の話すぎる。

そして「善」なんかはまさしく後者だ。(「利己的な善」とかじゃなくて、抽象的な一般的な方の善)

四次郎(能力:あらゆる次元を行き来でき、不可能がない。作者に尽くす)

そういえばなんで

俺が生み出したキャラクター、四次郎(能力:あらゆる次元を行き来でき、不可能がない。作者に尽くす)は俺の前に現れないのだろう。あらゆる次元を行き来できて不可能がないんだから、概念としてだろうがなんだろうが、生み出された以上は現れ、俺に尽くすのが道理ではないのか?

空間を考える

この空間はなんだろう。PCがある。キーボードがある。机がある。椅子が私の尻の肉では補えないほどに硬い。なんだこの椅子は。この椅子は学習机とセットのやつだ。木でできていて高いんだ。でも高くても硬い。妹のイスはプラスチック製の学校のコンピュータ室にある安っぽいやつだけど、クッションがついてるから座ってても痛くないイスなんだ。あんまり自分の椅子が高いのに硬いから、こっそり妹の安いイスに座ったものだ。こんな高くて硬いイスを作る人は何が楽しいのだろうか。安くても柔らかい妹のイスを作った人の方がずっと偉いことにも気づかないで、木だけでイスを作る自己満足な人。今は何してるのかな。初めて気にしたよ。でも想像もつかない。自由研究で作った竹とんぼが褒められて木を加工することから離れられなくなったのかもしれないけど、自由研究はそういうのがウケやすいってことにも気づかないで人生決めちゃって、今は木の温かみとか言ってんだろうね。想像もつかない。誰もお前みたいになりたくないって知ってるのかなぁ。いや、お前が自分に憧れて欲しいと思ったことがないとかは関係なくて、ただ誰もお前みたいになりたくないと言う事実があってそれをどう思うのかなと思ったんだよ。でもココにお前のことを考えている人間はいて時間を無駄にしたなと思ってる。

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タラタラしてんじゃねーよ

 

実は自分、クラスで一番とデザインを褒められた

。その場でば胸が高鳴り喜んだものだが、井の中の蛙すぎる。

この歳でクラス1番を喜ぶだなんて。

しかし救いは1番ということ。それはクラスレベルではない可能性があるということだ。

これが2番で喜んでいたらと思うと恐ろしい。

というのは2番は1番が上にいるというわけなので、クラス内のみで自分の上限が決まっているのだ。

1番は違う。上がまだ見えていないので上限がわからない。もしかしたらこの俺の上は業界で名の知れたスーパーデザイナーなのかも知れないのだから(別クラスなら2番3番だったろうなと思いつつ)。

幼児退行せざる得ない状況に草

近頃、オタクの幼児退行が目立ちますので、小学生に甘えようとするオタクの原因を考えます。

 

オタクの幼稚化をさせるアニメの共通点と言えば男の要素が少ない、もしくはないというところでしょうか。

この理由に関しては、自分のお母さんが、異性にラブラブだったり恋に葛藤してたりしたら、甘えにくいのと一緒だと思いますので、重要ではないと思います。重要なのはなぜオタクが甘えようとするのかですから。

 

オタクが女児に甘えるというのは、大変気持ちの悪いものです。普通は気持ち悪い行為をしようとは思いません。では、オタク達は自身の行為の気持ち悪さに気づいていないのでしょうか。

そんなわけありませんから、オタク達は意識的に気持ち悪い行為をしているということになります。それはなぜ?

 

気持ち悪さにオタクは非常に親和性があるというか、一般的なイメージとしてオタク=気持ち悪いというものがあると思います。また、これはオタク達の大きなコンプレックスでしょう。

それは確かですが、果たしてただコンプレックスであるだけなのでしょうか?ただのコンプレックスである気持ち悪さを引き立てるような行動を意識的にするでしょうか?

しませんので、ただのコンプレックスではないのです。

 

コンプレックスのアイデンティティ化というのがあります。

例えば、コンプレックスだったものを笑いの手段にする。

そして、それが次第にアイデンティティになっていく。

同じようなことがオタク達の中でも起こったワケです。

自虐的にオタクの気持ち悪さを語っていたオタクたち、それで笑いを取ったり、仲間意識を強めたりしていたでしょう。

つまりオタクにとって気持ち悪さはアイデンティティと化したということです。オタク達は気持ち悪さに自分らしさや、誇らしささえ感じているのです。

オタク達が自身の気持ち悪さを競い合っているような光景を見たことはありませんか?それはこういうことだったのです。

 

ではここで最初の話、どうして近頃のオタクが幼児退行しているのかに話を戻します。

近頃オタク界に異変が起こっています。正確にはオタク界の周りで異変が起こっています。

最近「君の名は」が大ヒットしていますね。ここにその異変を見ることができます。

そう、アニメが一般化しつつあるのです。

そして、このことによる弊害がオタク達を幼児退行させています。

つまり、「ただアニメを観ているだけじゃ気持ち悪くない」時代に突入したのです。正確に言えば気持ち悪さが減ったのです。

そして思い出してくださいオタク達にとって気持ち悪さとはなんだったのか。

それはアイデンティティでした。ここまでくればあとは単純な話です。

オタク達は自身のアイデンティティを取り戻すために幼児退行していたのです。

意識的に気持ち悪く振舞うことで、アニメの一般化によって減ってしまった気持ち悪さを取り戻そうとしているのでした。